ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

会社は人間関係がコジレル場所なのか

会社はどんな場所かご存知か。僕は知っているが、知らなかった側面を最近でも発見する事が多い。40歳を超えて未だに発見があるなんて、会社とはなんと不可思議な存在なのかと驚嘆する事しきりだが、それは「僕が正社員と云う立場で会社に関わった期間」が、まだ1年半程度である事に起因する。

役員からの見え方

役員と社員とでは、同じ何かを認識するのにも、全く逆の視点から見える風景があったりして中々面白い。例えば、世間では普通に取り沙汰される、職場での人間関係の有り様についてでさえ、まるで違った世界観だ。

 僕はかつて会社役員をしていた頃、職場で人間関係のトラブルを察知すると、よく渦中の社員に個人的なコミュニケーションをとったものだった。

 どんな困った事が起こっているのか、または起こりそうなのか、または何も起こらなさそうだが気分が晴れない理由が何らかあるのか、などと云った、心の内をしてくれる事を期待して、課題の解決や整理に奔走していた。

 基本的に役員は時間の制約などないので、解決出来るまで時間を使う。

 総ての行動が良い結果に繋がったワケではなかったが(残念ながら)、そうやって共に闘う仲間同士の信頼関係を、何とかして築こうとしていたのは間違いなかったと思う。

 その頃社員達が、僕の行動や言動をどんな風に評していたかは当時も今も知らないし、興味もあまりない。全員が全員、僕の事を大絶賛していたハズもないだろうなと思うので特にその部分のディテールを掘り下げようとは思わないからだ。知ると後悔する系だと判ってる事から目を背けるのに抵抗がないタイプなのだ。

 少なくとも、出来るだけ多くの社員が幸せに近付けるといいなぁと感じながら働いていたので、幾らかでもその気持ちが伝わる事は望んでいたのだが。

 何れにせよ、役員と云う立場は雇用する側の人間なので社員との距離がゼロになる事はない。目線の高さが同じになる事もまずない。給料を払う側と貰う側では、言葉にし難い境界線が歴然と存在している事はご存知だろう。

 その境界線がありながらも信頼関係を構築する事は不可能ではないと思っているので、然程悲観する事でもない、と今でも思う。

大人の距離感

そんな経験を十数年間積み上げた後で、今度は自分が社員と云う立場になったワケだ、図らずも。生まれて初めてのボーナスや社員旅行や有給休暇など、イベント性の高い出来事を喜んだりもした。

 これらは解りやすい違いだしね。

  雇用してくれた社長とは、13年来の知人で前職の会社を畳んだ際にお世話になった方々に連絡を入れたトコロ「良かったらウチで組織作りの手伝いしてくれない?」とお声がけ頂いた。

 感謝感激。

 特に次の事を決めていなかった僕は、この有難いお誘いを受け晴れて社員となれた。

 で1年と半年くらい経った。最近は概ね社員の皆さんの人となりや地雷が何処にあるかなどと云った事は理解出来た、ような気がする。

 「そうかー、社員と云う立場ではこうやって大人の距離感を丁寧に維持しながら、踏み込んで人間関係を深める相手を慎重に選んでいくのだなー」

 前職でも他社の関係者、担当者さんとのやり取りなどはいくらでも経験していたので、大人距離の間合いはそれなりに認識出来ていると思う。

 更にかつての役員経験もあって、概ね会社間の利害関係や、先方企業の社内事情に対する理解、また自社内の懐事情など、社員として開発業務なんかに関わっているだけでは中々気づき難い道理を、察知する事が出来てきる、らしい。

 社内の正社員達と会話するとその事がよく解った。つまり、多くの社員はあまり会社の事など考えていないのだ。

 自分の問題に関連する形で二次的に会社の未来について考える事はあっても、所詮他人が立ち上げた企業、さしたる思い入れもないんだなぁと感じる事が多い。

 まあそんなもんだよなあ、と思うようにしている。僕とて今や他人が作った企業の雇われ人に過ぎない。会社の行く末を気にしてアレコレと思い悩む立場ではないのだ。

問題は沈殿し腐る

理屈ではそう理解していても、どうにも身体が勝手に動いてしまって良くない。思い入れや立場の如何に関わらず、問題や課題を発見して、そのまま放置する事に大きな抵抗感があるらしい。これも最近自覚した。

 社員の多くは、問題があると認識していても、あまりその事は取り沙汰しない。むしろ隠蔽しようとする向きが強いようだ。

 そして、狭い範囲の呑み会などでその問題を指摘し、自分は以前から良くないと思っていただとか、あれはこのまま進めたら失敗すると思うがお手並み拝見しようと思っているだとか、驚く程しょーもない陰口に華が咲いたりするのだ。

 じゃお前がその問題を解決せーよ。

 これもまた驚くべき事だが、誰もそんな風には突っ込まないのだ。共感し合っちゃってたりする。もう見てらんない、のである。まあつまりは、問題の解決が主題なのではなく、誰かを貶める、または誰かへの不満を尤もらしく語る、のが目的なのである。

 ん。ココは漫画の世界ですか?

 人間は大人になったって、承認欲求に塗れたか弱き子羊なのだ、そうだそうに決まっている。変に歳を重ねて知識が増えてしまったら分、面倒臭い存在になっているだけなのだ。

 そんな風に考えて、あまりに幼稚な大人達の言動に心を掻き乱されないよう努める日々だ。

 兎も角、会社の表面上の人間関係はその真なる姿ではない。これはもう、明らかに異なる。

 結局は糧を得るための行為として労働力を提供する場である会社は、他人との利害が一致する事などない。誰かの功績は、別の誰かのメリットとは限らないわけだ。

世代と性別の壁

これもまた、あまりに漫画的で驚いた。年の離れた異性の社員は、もはや宇宙人。相互理解のチャンスなどあり得ないのだった。

 僕などは、先輩は先輩らしく振る舞えばいいし、尊敬されるような行動を示して欲しいなーと感じるし、若手は若手らしくどんとん教えを乞い、先輩から盗むように努めればいいのになー、などと当たり前の事を感じてしまう。

 世間は当たり前ではないらしい。

 勿論全てがそうだとは云い切れないが、圧倒的に多いのは間違いないようだ。まったくこの世は面倒臭いのである。

 おっさん世代が持つ、現場叩き上げのモーレツ社員至上主義は、まずもって若手には伝わらない。まして女性にはカスリもしない。ガムシャラになって労働する事の楽しさや達成感が存在しているにも関わらず、彼らはその事を語ろうとしないのである。

 「推して知るべし」

 平成の世でそれは酷だ。

 平成産まれが持つ、メリット・デメリットをまず考えてから行動する合理性至上主義は、まずもって老兵には伝わらない。PDCAサイクルを考慮しながら労働する効率の良さが存在しているにも関わらず、彼らもまたその事を語ろうとしないのである。

 みーんなコミュ障だ。

 コミュニケーションを奨励する条例でも出やしないかとつい妄想してしまうほどだ。誰かに何かを伝える事はかなりのカロリーを必要とするので、今では多くの人々がテキストによる簡易版コミュニケーションに逃げた結果、この有様である。

 文章と云う極端に効率の悪いコミュニケーション手段を採用して、そも深い理解の到達など無視すると云うスタンスが一般化したのが今の日本だと思う。

 そして老兵達はその事を黙殺している。

 僕は老兵側の人間だ。しかし、世代や性別を跨ぐだけで、様々なメリットが産まれる可能性がある事をうっすら認識している。だから、日々のコミュニケーション不全を目にする度に、残念なら気持ちに陥っているのであった。だがしかし、僕はただ1人であろうとも、声を発している。声を上げぬまま、沈殿腐敗するなど、ゴメンなのだ。▪️▪️