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ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

子供であり続ける事

子を持つ事は正直諦めていた。30代後半に離縁した僕には子供がいなかった。出来なかったと云うよりは作ろうとは思っていなかった。夫婦揃ってやりたい仕事に全身全霊をかけていたし、それはそれで充実していたからだ。

 我々は訳あって別れる事になり、気楽な独り暮らしの中年となった僕は、これで生涯独り者だなあとあっさり諦めていた。しかし人生は誤算の連続、縁あって今の妻と、生涯二度目の結婚をすることとなった上に、速攻で子供が出来たのだ。

 椎名林檎嬢の言葉を借りれば、正に「一発着床」である。

 以前のエントリで書いたが、人生における「初めて」の価値をかなり重要視している僕は、子を持つと云う初体験に興奮した。

 さて現在我が子は2歳と少しにまで育っている。産まれた時には直ぐに産声を上げず、泣き出すまで生きた心地がしなかったものだが、献身的な名産医のおかげで無事に爆誕。今ではどこからこんなにも言葉が溢れてくるのか?と思うほど毎日止め処なく喋り続けている。

 そんな我が子の成長を日々見ていると、気が付けばいつもニヤニヤしている毎日である。

 2歳児は思っていたよりも遥かに子供で、つまり赤ちゃんの様相はまるでない。ちょっと言葉が辿々しいだけの立派な子供なのである。

 そして、嗚呼子供と云うのはこんなだったなあと幾度も思い出す。目の当たりにすれば即座に思い出せるのに、30年近く忘れていた。

 無軌道、無遠慮、無自覚、無分別、そして自由。それらを煎じて煮詰めたものが子供だ。本当にそんな気分になってくる。子供は大人がしない事を全てやる。大人がする事を実は少しやる。意外と微妙な空気を読んで行動する事が稀にある。が基本的には、大人がしない、つまり必要のない事をメインで実行する。

 そんな存在に対して、躾けと云う意味では叱咤する事があっても、本気で怒りを感じたりまともに議論しようなどとは、全くする気にならない。

 ま、そらそうである。

 殆どの行動についてその理屈が理解出来ないような相手に、怒りなど沸き起こらないのだ。ちなみにコレは僕が勤めに出ている身であるからであって、一日中顔を付き合わせている妻の場合、そうはいかない。理不尽な存在と一日中共に過ごすのはとてもストレスか溜まるのだ。

  我が子は「オモシロ」の宝庫である。我が子だけがそうなのか、どの子供も大抵そうなのかは知らないが、兎に角「オモシロ」に溢れかえっている。何故コレに?と思えるような何気ない言動や行動に対して、異常な程の爆笑を見せたりする。誤解なきよう。我が子そのものが面白いのではなく、我が子が面白がれるモノが多いのだ。

 何をも面白がれる。コレは子供の特徴かもしれない。そして奇しくも、大人が忘れがちな行為もまたこの特徴的行動だったりする。何でも面白がれる大人は少ない。子供の何でも面白がれる性質を見ていると、自分がそうではなくなってしまった事に気がついて、ドキリとする。子供に本気を出して怒りを感じないのと同じで、本気を出して面白がろうとしていない自分に。

 面白がれる大人は少ないと書いたが、時々は遭遇する事もある。そして彼等は大抵の場合、非常に魅力的だ。少年の心を持った大人、なんて云い回しがあるが、あれはこの事なんだな、なんて思う。つまり、何かに対して本気で面白がろうと出来る大人だ。

 比較的多趣味な方である僕なので、もしかしたら人より面白がろうとする素質はあるのかもしれない。

 良く他人から云われる事がある。良くそんなに楽しめるモノがありますね、羨ましいですよ、と。楽しめるモノが多くて楽しそうで良いですね、と。

 馬鹿を云うのも休み休みにして欲しい。

 時間とお金と労力をなんとか遣り繰りして、可能な限り投入しているのだ。そしてそれは楽な事ではないのだ。自分の心が枯れるかどうかは、シッカリと栄養を与え続けているか否かによる。僕は自分が楽しめそうな物に対してアンテナを張り巡らせているに過ぎない。例えソレがどんなにクダラナイものだったとしても。

 今は自分の子供から、子供らしさを再び思い出させてもらえた事に感謝している。■■