ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

時には喧嘩も必要だ

根本的に人ってやつは、他人と分かり合えない残念な存在だ、と時々思う。時々と云う云い方は誤解を招くかも知れない、正しくは毎日1回〜3回は思う。

 どうやったって思考の総てを言葉で表現する事など出来ない上に、人それぞれで知能レベルが違っており持っている辞書も異なっていて更に、好き嫌いとか云う面倒な不確定要素まで介入してくるのだから、もうどうしようもない。降参である。

 しかし残念な事に、人が多く集まる必要のある場所では、分かり合えないと開き直る事が許されないケースもある。常識や社会ルールなどと云うモノは、円滑な集団行動が必要とする最低限度の規範共有を持って「分かり合えた事にしておこうぜ」と云う、ある種の紳士協定だ。

 分かり合えた状態を期待する事自体がナンセンスなのだ。しかしソレは何も嘆き哀しむような類の話ではない。分かり合えないからこそ伝来ミスや伝承エラーが起こり、多様性と云う副産物を手に入れる事だってあるのだ。まあ極々稀に、ではあるが。

 こうした理解は、ある程度の大人なら通じる話題で、日々の生活において必ずしも「分かり合った上で成立する人間関係」だけが存在しているわけではないはずだ。

 適度に焦点をボヤかしながら生きていける程に、大人は器用なのである。

 ただ、立場によっては焦点をボヤかしてばかりもいられないケースもあって厄介だ。政界や大企業における派閥、なんてのは判りやすい例だろうか。ボヤかしてる間は何となく成立していた集団が、何か1つの(たった1つの)物事の白黒決着を巡って瓦解するなんて事はままあるのだ。

 離反組が新党を結成したり、新会社を作ってライバルに転じるなど、掃いて捨てる程世間に溢れかえっている。

 しかも良くない事にこうした対立が表面化すればいい方で、多くの場合、内在化したまま長時間が過ぎ行くものなのだ。多くの人を巻き込みながら、である。

 更に最悪のケースは、この分かり合っていない当事者達が、権力や裁量をまあまあ持っている時だ。もう見てらんない程に最悪である。

 彼等は焦点をボヤかすことを許されない存在なのだ。ハッキリクッキリさせる事が仕事だと云っても過言ではない。ボンヤリさせた瞬間に、誰かが苦労する時間が発生するのだから。

 だから権力や裁量を有している人々は、意見や考え方が違う相手と時々は喧嘩をして欲しいものである。是非とも喧嘩して欲しい。そして、それぞれの考え方が違うって事を近しい人々に周知してもらいたいのである。

 そうしないと、周辺で不幸になる、または病んで再起不能になる人間が増え続けるだけなのだ。

 分かり合えない事は間違いない。しかしその事を秘するのは往々にして迷惑を産み出す。恐れずに喧嘩せよ。違いを認めて戦うのだ。■■