ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

無敵のサラリーマン

産まれて初めてサラリーマンになって早くも1年3ヵ月が過ぎた。15ヵ月なんて一瞬の夢、光の矢、である。僕はそれなりにいい歳になるまでサラリーマンと云う立場を未経験だったのだ。

41歳の秋

バカボンのパパと同じ歳になって初めて、噂に聞く「サラリーマン」に成れたのだ。思えば永い道のりだった。産まれてこの方、サラリーマンになりたいと強く思ったのは41歳の夏一度きりである。それまでは「こうなりたい自分」をイメージする事はあっても、「こう云う職業に就きたい自分」をイメージした事など一度たりともなかったのだ。

 なんとか糧を得る程度の収入を得ていた時期もあれば、生存必須を下回る収入しか得られなかった時期、前年度×10倍の収入を得た時期、などなど自分の人生の安定感は抜群に低い。

 そう云った不安定な生活が当たり前になってくることが幸せなのか不幸せなのかは、人それぞれ感じ方が違うのだろう。僕はどう感じていたかと云えば、楽しんでいたのでまあ幸せと呼んでも差し支えないかな、と云った印象である。

 不安定が当たり前になると、今の状況はどの道永くは続かない、と自然に思えてくるものだ。それが良い状況でも悪い状況でも。そしてこの感覚は気持ちを強くしてくれたのも事実。

嫌な事をやらない為に必死

人なんて、誰かのちょっとした振る舞いでいつ死んでしまうか判らないのだから、せめて楽しいと思える選択をし続けたい、などと達観した想いで生きてきたワケでは決してない僕だが、本能的に楽しい事に惹かれていたのだろう。ハッピーピープルだ。

 云い替えれば、嫌な事をやらない為に必死になった、って事だ。嫌な事をどの程度嫌なのかと云えば、人が云う「嫌な事」は大して嫌じゃないんだろうなぁと感じるのである。

 「まあどっちかって云えば嫌だけど、死ぬほど嫌ってワケでもないYO」

 多くの人は、そんな感じじゃないだろうか。程ほどの楽しみと程ほどの我慢の両方を受け入れる事で生活が成り立つのであれば、苦労して現状を変えようとするのではなく、環境に甘んじて生きていく方が利口だ、と云う意見もなんとなく理解は出来る。

 が僕は違う。

 嫌な事は、少しでもやりたくないのだ。徹底的に排除したいと常々思っている。勿論今までの人生経験において、その想いが100%達成された事など1ミリ秒もない。必死になってあれこれと工夫したり回避行動策を労して、辛うじてほんの少し嫌な事を軽減出来たら良い方で、概ねのケースで状況は何にも、一欠片も、一瞬も、変わらないのだ。

 残念!

 何処までいっても、何をやり尽くしたとしても、未来は無限の可能性から脱却出来ないのなら、さて貴方はどうするか?

 勝ち目の無い戦いに無駄な労力を費やすのは嫌だとクールに悟る?

 万に一つの可能性に賭けて何度損をして悲惨な目に会っても不屈の努力を続ける?

Not To Doの輪郭

僕はたまたま、本当にたまたま、嫌な事がハッキリしていた。逆に、やりたい事はかなりぼんやりしていた。あるにはあったが、ハッキリクッキリ見えていた事などない。しかし、嫌な事はその時々で形を変えながらも、輪郭がハッキリクッキリ見えていた。

 ハッキリしている事は、行動の根拠になるもので、絶対にコレはやりたくないと云う想いを燃料にして必死に回避行動を取り続けたのだ。

 これ、実は結構人に勧めたい生き方なのである。世間の意識高い系の人々は、自分探しや色々の手段を使ってやりたい事を見つける道を提示してくれるが、やりたくない事を具体化する方法などについて語ってくれているのだろうか。いや、語っているかもしれない、しっかり追いかけた事がないからこの認識は曖昧だ。

 いずれにせよ、僕は嫌だと感じる事を徹底的に排除する行き方を続けた結果、41歳までサラリーマンになれる機会がなかった。世間的には駄目人間と呼んで差し支えないと思う。

 これはこれでまたまたの偶然が重なって出来上がった結果であって、サラリーマンになりたくないと強く思っていたわけではないのである。やりたい事以外は全てやりたくない事かと云うとそうではないわけだ。

 そうしていい歳の大人になった僕は、あるきっかけで、10年来の知人の会社に正社員として勤める事になった。正社員になる前の13年は、会社役員と云う立場だったが、これもまたやりたい事だったのではなく、13年前にやりたくない事を回避した結果そうなったに過ぎない。

 まさか、40歳を超えて会社員、サラリーマンになれるとは誰が予想出来たであろう。産まれて初めての経験が、手に届く範囲でまだ残っていたのである。

「人生初」の価値

実はこの事は本当に幸せな事で、本来「産まれて初めての経験」は生きれば生きるほど数が減っていくのが通常なのだ。つまり「初めて」には価値があるのだ。しかも絶対的に代替不可能なのだ。初物に対する無条件な有り難みを感じた事が貴方にもあろう。童貞以外のな。

 さて。

 かくしてサラリーマンの立場を手に入れた僕は果たして?!と云ったトコロなのだが、ハッキリ云って、ムッチャクチャ楽過ぎて愕然とした!驚愕の連続である。

 世間で云う「就職活動」なるものの経験もなかった僕なので、再就職にあたり大した就職活動もしないまま手に入れたサラリーマン待遇だった事も手伝って、こんなに物事が簡単に無責任に進行していいのか?!と自分の目と耳を疑う事ばかりだ。

 役員と云う立場の前には、いわゆるフリーランスのデザイナだったのだが、何れの場合も自分の行動の責任は全て自分に課せられた。当たり前だ。

 しかしサラリーマンは、いきなりこの部分から違ったのだ。

 自分がどんなに失敗をしても責任は会社が取ってくれるケースがゴロゴロある。会社に不利益な行動をした瞬間に当月の給与がカットされるなんて事はないのだから、日本国の法律は労働者に超甘い。逆に経営者に超厳しい。

会社は従業員の奴隷なのか?!

これは役員時代には感じていなかった事だが、本当にそう思った。この手厚い労基法に守られたぬるま湯環境下において、果たして真の意味で会社貢献度の高い社員がどれ程存在しているのだろうか。

 答えは多分1〜4%程度だろう。50人規模の中小企業なら1人か多くて2人。その他従業員は単なる労働力、数値化しても構わないリソースに過ぎないと感じた。

 そんな従業員達が、ボーナスまで持っていく。状況が狂っているとしか思えなかった。正に会社は従業員の奴隷。

 兎に角、しばらくサラリーマンに慣れるまで時間を必要とした。ドッキリなの?と何度も思った。それくらいに責任の所在が曖昧なのだ。

 世間ではブラック企業だとか社畜だとか、明らかに搾取する経営者と低賃金に喘ぐ労働者と云う構図で捉えがちだ。確かにそう云う側面もあろうし、事実としても存在しているだろう。ブラックとかホワイトとか云う時は黒はネガテイブだが、クロとかアカとか云う時は黒はポジティブだな、あ、どうでもいい事書いちゃった。話を戻すぞ。

 それを嘘だ!と否定したいのではない。思考停止してんじゃね?と云いたいのだ。大手企業のブラックさ加減は目立つ。単純に被雇用者が多いからだ。

 酷い企業はガンガン晒されて倒産してくれればイイと思うが、サラリーマンと云う立場の安定感はもっと考えた方がいいんじゃないかなと思う。

 いや、違うな。安定感と云うよりは無敵感か。

サラリーマンは無敵かもしれない

マジで今年はそう思ったんだ。搾取?解雇?パワハラ?大丈夫、訴えろ、ほぼ必ず勝てる。僕は自分を採用してくれた社長に感謝しているから死ぬまでそんな事はしないが、兎に角日本の法律は労働者に超甘い。何か労働上の揉め事が発生した時に会社が勝つのはかなり困難だろう。

 何を云うか!サラリーマンだってハイリスクな部分もあるぜ?!と思われただろうか?そう、その通りまったくおっしゃる通り。サラリーマンにはリスクもある。しかしそれを云うなら、リスクの無い職業や業態などそも存在していないので、云うに及ばず程度の事実だ。

 そしてそのリスクは、潜在的な部分で経営層に比べて遥かに軽い。もう話にならない位に軽い。自分が経験したから判るが、経営者の多くは、経営者になる事を幼い頃から夢見て育った人ばかりではないんだよ。色々の事情と巡り合わせによって経営者になった人が意外に少なくない。

 そして彼等は(僕も含め)、充分に経営の勉強をしてから経営を始めているわけじゃない。親が子供が出来るまで子育ての素人であるように、経営者は素人のまま経営者になる。

 大学で経済学を学んでいたとか経理知識を勉強してきたと云う人もいるが、正直云ってヌルいし浅い。使い物にならない程度の知識や感覚しか得られていないケースが多い。勿論経営センスがある人もいるがそう云う人は特殊なので、どの世界にもいる特例として無視してもいい感じ。

 何れにせよ、経営と云う行為は、ヤッて転んで起き上がる、と云う経験を繰り返す事によって、圧倒的な速さで学ぶものだ、と思ったんだ。経験すれば、何を学ぶべきなか感覚的に理解出来るし、その重要性が身に染みてくる。

 学問として扱う事と、自分の使命や生きる道として扱う事とでは、天地の差がある。

 失敗したら破産するかも。失敗したら社員達の生活を台無しにしてしまうかも。失敗したら家族離散になるかも。失敗したら凄くお世話になった尊敬する人に大きな迷惑をかけてしまうかも。失敗したらもう日本には住めないかも。

 こんな恐怖が脳裏をかすめながらも、決断を凄まじいスピードで下していかなければならないとしたら?それでも経営者は逃げずに経営しなくてはならない。事業を推し進める為に。社員に給与を支払う為に。取引先に支払いをする為に。自らの糧を得る為に。

 40歳を超えて初めてサラリーマンになった僕は思う。サラリーマンは無敵だと。せいぜい、クビになる恐怖くらいだろうか。それも、余程法外にやらかして解雇される事を除けば、不当解雇だとして声を荒げればそれなりのお金を経営者からもぎ取れるし、残業代の未払いを地道に記録しておけば、いざと云う時に使えるだろう。

 兎に角するしないは別として、被雇用者の権利は絶大に守られている。

サラリーマンになって感動した事

世間一般では当たり前とされている事が、超新鮮で、超感動した事がいくつもある。

1.有給休暇がある

これには感動した。休んでいるのに給与が支払われるなんて。勿論知っていたし、役員の頃は社員達に有給休暇を消化してーなんて云っていたが自分で消化したのは初めてだったんだ。ありがたいと本気で思った。

 あと、盆と正月がまともに休めて、土日も本気で休めるのも嬉しかった。役員の頃は休めても、気持ちが全然休まらなかったものだ。盆休みなんて20年くらいなかったんじゃなかろうか。午前中に墓参りだけして、午後から出社していたものだ。

2.ボーナスがある

完全に忘れていた。以前役員をしていた頃は長年賞与を出したいと思いながら遂に賞与支給が出来なかった。だから、賞与についてはかなり意識が向いていたのに、自分がもらうものとしては考えた事がなかったので、賞与が支給された時は本気で何かの間違いだと思った。

 よく世間では賞与が高いとか安いとか云う。勿論賞与期待が前提だから安い基本給でもなんとか食いつないでいる困窮状態もあろうから重要な話題だ。

 しかし、完全にその存在を忘れていた僕にとっては、本当に「ボーナス」であった。宝クジを当てたような感覚である。本気で嬉しかった。賞与が支給出来る会社に雇ってもらえた事が。

3.全ての責任は上司にある

誤解があるかもしれないので補足すると、「最終的な」責任の話だ。云いかえると、自分の後ろにまだ何人かついてくれているって事だが、この安心感たら半端じゃない。

 前職では、代表取締役が自分の後ろに居たは居たが、そのカードは基本的に使えない、と云うか使う時は相当の大事なので、そりゃそれで緊張感が伴う。安心感と云うのとはやや違うんだ。

 むしろ、社員達の後ろ盾となる事が仕事の一部でもあったから、安心感を持ってもらえるような存在でありたいと常々思っていた。まあ事実どう感じられていたのかは知らないが知らない方が幸せと云うこともあろうから気にしていない。

 しかし今は違うのだ。

 これは何も大きな失敗をした時の後ろ盾と云った意味に限られない。日々のちょっとした判断や、業務上の会社的な判断など、「判断」や「承認」と云う工程においてことごとくその責任が上位層に委ねられ転嫁される事に、驚く程の安心感がある。この事は働き出してから初めての経験、体感だったから物凄く新鮮で驚いた。

嫌な事は引き続きやらない

ここが最終的に重要だ。兎に角これだけを維持出来れば、毎日を楽しめる可能性があり、仕事を続ける事が出来る。

 サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。

 今は尊敬の念を持ってこの言葉が身に染みるのだった。◾︎◾︎