ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

会議の内容を吟味し切った後で実行したのでは遅い

会議ってのは組織の中で問題発生の温床であり、問題解決の場でもある不思議な空間、時間、だ。会議ばかりが多い会社は将来性に課題がある、などと云う言葉を目にした事もあるだろう。

 実際、会議の有り様や種類、ファシリテーションのイロハなどをちゃんと体系だった概念として教えられる事があるなら幸せな方で、大抵の場合はある日突然上司に云われるのである。

 「今日の会議、進行ヤってくれる?今迄見てたから出来るよね。」

 「(どっきーん!!!)マージでー!?」

 考え方は色々あろうかと思う。そりゃ事前に概要を知らされて居た方が初陣は大きな失敗をする事なくやり過ごせるかもしれない。知らない事の不安感と云うのは本人にとって巨大に感じられる事も知っている、が、その不安感は小さな問題だ。

 会議はどんな内容でもどんな準備不足でも始まってしまうし時間が来れば終わる。所詮過ぎ行く行きずりの空間に過ぎない。

 本当にそんな程度の考え方がイイ。

 会議は複数人の時間を使って行われるわけなので、無駄な内容に終わった時の残念感はかなり大きいモノだが、それでもやはりどうと云う事はない。更に云えば突然無茶ブリをしてくる上司はクズ認定しても全然良いが、そう云った機会そのものは毛嫌いする必要はないのだ。

 準備した会議としなかった会議とでは、議論の質や会話の効率面で大きな差があるのは間違いない。とは云え、いずれの場合でも主催者、ファシリテーターのポテンシャルが結局会議の質を決定するし、それは付け焼き刃の準備程度では大した変化にならないのだ。

 会議は軽視するべきではない。しかし1番大事なのは会議が終わってからのアクションにかかっている。

 つまり、1番云いたい事がコレである。

 会議が上手く進行出来なかった事を猛省して次回の準備にやたら時間をかけるよりもむしろやるコトがある。

 会議を受けて発覚した、自分の考え方の穴や期日が明確になった宿題を「如何に次アクションの中に取り込んで行くか」「如何に自分の課題として心に刻むか」をヤルとイイ。

 会議の終わりは同時にアクションの始まりでもあるワケだ。

 そう云った理由から、あまり最初から100点を目指して用意周到な会議をやったって、メッキは剥がれるものだぞ、と云う話でした!■■