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ひっそり鰓呼吸

無軌道で無計画な徒然日記

社会には無駄が必要なのか

無駄を排除しようとすると抵抗勢力と衝突する事がある。しかし無駄を排除する事は一見良い事のように思えたり人から見えたりするものだから、あまり積極的な抵抗としては表現されない事が多い、ように思う。抵抗する側は抵抗する側で、無駄がないならソレはいい事だと認めている、って事だろうか。

 とにかく社会には、無駄が多い。会社組織などは、その最たる例で無茶苦茶無駄が多い。会社の30%は無駄で出来ています、と云ってもイイくらいに無駄が多い。

 いや、そもそも30%程度の無駄を「無駄」として意識の表層に持ち上げる事がナンセンスであると云う可能性もある。

 「そういうもんだ」と云われたらそうなのかもしれない。

 しかし僕のようなある種の人類には、この30%程度の無駄を排斥したくてしたくて仕方なくなるから困ったものだ。無駄だと思えるものは多分に主観が混じっているので、客観的かと云われると自身がない。

 でもその無駄を排除する事で、圧倒的に効率が上がったり関わる人間の数が減ったり意思決定のスピードが上がる事が予想されるなら、実行してみたくなるんだよな。そして、そこで抵抗勢力とのうすら生温い攻防がやんわりと始まるわけだ。

 やるならやってもいいんだけど本当に効果があるのか、的な突然お前何厳密な効果を気にしとんねん展開とか、アルアル。こういうスタンスって当事者意識を放棄していて、とてもズルいなといつも思う。あくまで自分は中立の立場を崩さないって人は、集団の中ではクズ扱いしてもいいんじゃないかなと感じてしまうのだ。

 集団の在り様をより良く改善したいなと思っている思考に対して、安全地帯からただアドバイスと云う名の文句を垂れ流す人類は、今すぐ去れ。■■